統合失調症とはかつては精神分裂病といわれていた疾患です。
統合失調症の患者はどのような体験をしているのでしょうか。
統合失調症とはどのような病なのでしょうか。
治療はどのように行うのでしょうか。
幾分大胆な仮説も交えて説明してみます。


症例

症例4 同級生の皆がいじめると訴える20歳男子大学生

もともと人見知りをする内向的な性格。
高校卒業後、現役で関東の私立大学文学部に入学。
アパートで一人暮らしをしていた。
大学1年の終わりごろから周囲の同級生が何かよそよそしいように感じるようになった。
自分のことを仲間はずれにしているよう。
自分のことをちらちらと見ながら悪口を言い合っているように感じる。
町を歩いていても見知らぬ人達が自分を見て悪口を言っている。
最近は夜も眠られず、食欲も落ちた。
外に出るのが怖くなり、大学へも行かずに一日中アパートにこもっていることが多くなった。
先日実家の母から電話があり、その時に抑えきれずに泣き出してしまった。
心配した母が、本人のアパートへ行ったところ部屋の中は散らかり放題で、ぼーぜんとした本人が布団の中でうずくまっていた。
母が実家へ連れて帰り、精神科を受診。


統合失調症の人はどのような体験をしているのか

統合失調症では色々な症状が出現します。
その多くはいわゆる常識ではなかなか理解しがたいものです。
抑うつ気分や不安などは程度の差はあれ誰しもが体験するものです。
典型的なうつ病の抑うつ気分や、パニック障害の不安を正確に追体験することは難しいですが、何となくこんなことなのかなと推測することは出来ます。
しかし統合失調症の場合、その症状のとらえがたさ、多彩さなどもあり、統合失調症の人達がどのような体験を理解するのは難しいものです。

まず統合失調症の症状のいくつかを紹介します。

幻聴 実際には無いのに、頭の中などで人の声などが聞こえるといったものです。内容は「馬鹿」「殺してやる」などの罵りであったり、被害的な内容が多いです。

妄想 事実とは異なる誤った確信で、他の人と共有されずその人だけが持っている考えを言います。内容はやはり「ほかの人が自分のことを嫌っている」「自分のことを監視している」など被害的なものが多いです。

させられ体験 操られる、考えを吹き込まれるなど、何者かから自分自身に対して操作されるという体験です。

無為自閉 他の人たちとの情緒的な交流が乏しくなり、自己の殻にこもり、不活発な状態で日々これといって何をするでもなく過ごす状態を言います。

これらはどの一つをとっても日常では起こりえず、なかなかイメージしたり追体験したりしづらいものです。
統合失調症の人達がどのような体験をしているのかを理解するために、まず病初期の症状に焦点を当てて見ます。

統合失調症の初期の症状としては次のようなものがあります。
これらは幻覚や妄想などの本格的な病的体験の芽のような症状と考えられます。

聴覚過敏 普段なら特に意識されずに聞き流しているような生活音、例えば冷蔵庫のコンプレッサーの音などがやけに意識される、耳につく。車のクラクションなどの音が以前と比べて異様に大きく聞こえるなどといったものです。

被注察感 何となく人の視線を感じる。一人で部屋にいても誰かが見ているというものです。

自生思考 意識して考えようとしているのではないのに、今している行動や考え事とは無関係に考えごろなどが頭の中に自然と浮かんでくるといったものです。昔の嫌な思い出が鮮明に出てきたり、どろどろとした恐ろしいイメージが浮かんでくるなどという体験です。

関係念慮 人が話をしていると、その内容は分からないのだが、何か自分のことを話しているように感じるなど、色んな出来事を自分に関係付けることを言います。

実体的意識性 実際に誰かが居るのではなく、目でも見えないが、人や霊などの気配をしっかりと感じるというものです。

統合失調症の初期、初期症状が出現している時の体験とはどのようなものなのでしょうか。
それらに共通する特徴は何でしょうか。
これは二重の過敏性で説明が出来ると私は考えています。
一つは「面としての過敏性」、今一つは「強度の(面の)過敏性」です。

「面としての過敏性」は意識による体験の選択性の減弱、あるいはフィルター機能の減弱として説明できるものです。
人は対象をあるがままに体験しているわけではありません。
ある事に意識が集中していると同じものでも意識を集中していなかった時よりもより強く、鮮明に体験します。
逆に関心のないこと、注意を向けていないことは意識に上らなかったり、すぐに忘れてしまうような淡い体験となります。
この意識による選択性、フィルター機能が減弱した状態を「面としての過敏性」があるとしておきましょう。
意識による選択性が減弱した時、時に意識していない感覚や思考の辺縁的なものが体験されるようになります。
普段なら気にならない日常の生活音などがやけに気になる、耳につくようになるのです。

「強度の(面の)過敏性は通常ならさほど強く感じなかったことが、より強度を増して体験されることを言います。
不安で起こってくるものと共通するかもしれません。
クラクションの音などが、客観的には特別大きな音ではないのに、自覚的には非常に大きな音として体験されたりします。

統合失調症の初期の状態はこの二つの過敏性が生じていることをイメージするとより追体験しやすくなります。

もう少し具体的に説明してみましょう。

当クリニックの隣にはかごた公園があります。
そこを散歩したときの体験を例に挙げてみましょう。

夕方の時間帯に公園のベンチに座って公園をぼんやりと眺めてみます。
植木に実がなりいくつかは落ちてきていて、歩く時に踏むとぱちぱちと音がします。
右手のやや奥では小学3年生くらいの男の子二人がキャッチボールをしています。
大人顔負けのスピードボールを投げています。
左手のコンクリートのところでは高校生くらいの男の子がスケートボードの練習をしています。
その近くで20代くらいの女性数名がおしゃべりをしています。
今、黒色の大型犬を連れた中年の女性が目の前を通り過ぎました。

この公園での体験を思い描いてください。
これらのことは一度に同時に体験されたわけではありません。
公園には多くの人や物がありますが、そのつどの興味や関心に応じてそのいくつかが意識の中で大きく浮かび上がってきます。
興味が他に移ると、その前に体験していたことは無くなったり背後に退き、新しい関心の対象が大きく浮かび上がってきます。

さて、ここで二重の過敏性が現れればその公園での体験はどのようなものになるのでしょうか。

公園を歩くとバキバキと異様に大きな音がします。
木の実を踏みつけて起こる音のようですが、それにしても大きな音でぎょっとします。
キャッチボールのボールが自分のほうに飛んできそうでひやひやします。
スケートボードの少年は何か自分を意識しているようで、自分が歩くと少年も滑り出します。
何かのサインなのか、単純な嫌がらせなのか。
それにしてもどうしてこの少年は自分のことを知っているのでしょう。
自分の考えすぎなのか・・・
その近くに居る女性たちも何か大きな声で話し合っています。
内容は聞こえてきませんが、どうも自分の悪口を言っているような気がします。
あれ、急に大きな犬が視野に入ってきてびっくりしました・・・

このような状態が、幻覚妄想状態などの精神病状態につながる、前精神病状態と言って良いのかなと思います。
これらが発展していくと、本格的な病的体験と言われる、幻聴、妄想、させられ体験などになるのではないでしょうか。

面と強度と言う座標を持った体験空間をイメージして、先の二重の過敏性が起こっていると考えると、かなりの程度統合失調症の初期に起こっている状態を追体験しやすくなります。

なお、この二重の過敏性というのは私が勝手に言っているもので、試案に過ぎません。
現在のところ統合失調症とはいかなるものか、患者においては何が起こっているのかと言うことを大多数の人が納得する形で説明した説はありません。
このような説明で統合失調症と言う病や、その病を得た人の理解に少しでもお役に立てば幸いです。


統合失調症とはどのような病なのか

パニック障害、全般性不安障害についてのところで、不安とは「強度の面の過敏性」がある状態であると説明しました。
統合失調症の初期においては「面としての過敏性」と「強度の(面の)過敏性」の二重の過敏性がある状態である程度説明が出来るのではと思っています。
初期の状態が、その疾患のより純粋な状態を示しているとすれば、統合失調症そのものも案外この二重の過敏性で説明が出来るのではないかとも考えています。

体験空間は外界を反映するような体験だけにとどまりません。
目をつむって極力感覚的な刺激を少なくして、色々なことを考えるような内的体験、思考体験についても同じようなことが言えるのではないでしょうか。
昔のことを思い出したり、これからの進路を考えたり、今日は体調がすぐれないなと身体感覚に目を向けるなどの体験において、二重の過敏性が起こってくると色々な思考のゆがみが生じてくると思われます。
過去の体験に新たな意味が付け加わったり、将来の進路に不気味な避け得ないような影が付きまとったり、身体感覚に奇妙な異常感覚が出現したりするのではないでしょうか。
これらは統合失調症で起こりやすいものと言えます。
一つのことに意識を集中することが困難となり、色々な想念が頭に浮かび、頭の中が騒がしくなります。
思い悩み、精神は疲れてきます。
対象に対して考えること、関心を向けることが精神を揺さぶり乱れさせるために、心を守るために外界に対して無関心にならざる得ないのかもしれません。
心の微妙なひだは擦り切れ、無為自閉と言われる状態に陥るのかもしれません。


治療について

治療は薬物療法、精神療法、リハビリテーションが主となります。
以下に簡単に説明します。

1、薬物療法

抗精神病薬が主たる治療薬となります。
効果は幻覚や妄想などを抑えるものです。
副作用として、眠気、だるさ、口渇、便秘などがあります。
その他にも錐体外路系の副作用があります。
最近は副作用の少ない非定型抗精神病薬が開発され以前と比べて内服しやすくなっています。

2、精神療法

まず本人が体験していることがいかなることであるのかを探る作業が必要です。
幻覚や妄想を持っていると、周囲の人たちは何かおかしなことを言っているととらえるのみで、本人が体験していることを頭から否定しがちです。
体験していることが正しいか否かはひとまずおいて、本人のとらえている体験を本人にとっての心的現実として把握し、大切に聞くことは治療上欠かせません。
そのような作業を通じて治療者との間に信頼関係が築かれ、それを基にして治療は積み上げられていきます。

その他に、疾患の経過を把握し、ある時期には刺激を避けて安静を保たせたり、ある時期には少しずつ社会へ出て行くことを勧めるなどのペース配分も大切です。
休むべき時に無理をしたりすることで回復が妨げられたり、慢性化することがあり、注意が必要です。

統合失調症の方は二重の過敏性を持っていると思われます。
急性期の幻覚や妄想が活発な時期はその過敏性が非常に強くなり、病的な体験に圧倒されている状態です。
その為急性期においては、まず刺激を避けて静かな保護された環境で安静を保つことが必要です。
この時期にはテレビや新聞といったものでも避ける必要があります。
また過敏性を和らげるために十分な量の抗精神病薬の投与も必要です。

安静を保ち、適切な薬物療法を受けてしばらくすると幻覚や妄想などは徐々に消退していきます。
幻覚や妄想がほとんどなく、不安もあまり感じなくなった時期にはどうすればよいでしょうか。
実はまだ休息が必要です。
急性期の、今まで体験したことの無い激動の時期、患者は症状に振り回され、心身とも疲れきっています。
急性期を過ぎても今しばらく休息し、自分の内から意欲なり興味、関心が芽生え始めてから少しずつ、慎重にリハビリ的な働きかけをしていきます。

3、リハビリテーション

統合失調症の方には、もともと社会での生きづらさ、人付き合いの不得手な人がいます。
人の気持ちを汲んだり、自分の気持ちを表現したりするのが苦手な人もいます。
さらには、統合失調症を発症したためにそれまで出来ていた人付き合いや社会生活が不得手になることもあります。
作業能力が落ちたりすることもあります。
その他、現実から遊離し空想の世界などをで過ごす傾向が強くなることもあります。
リハビリテーションでは作業やレクリエーションなどの活動を通してそのような、もともと不得手であったか、発症後不得手になったことを再度練習し習得することを目標としています。
現実の世界、人とのつながりを強化することも大切な目的です。
グループでの活動が主となりますので外来ではデイケアなどへの参加が有効です。

なお当院ではデイケアなどのリハビリテーション療法は行っておりません。