まず人間の発達について考えてみましょう。

人間は白紙の状態で生まれてきます。生まれたときにはただ感覚的な刺激を感じてそれに反応しているだけです。
おなかがすいたとかおもりらしをしておしっりのあたりが気持ちが悪いと、不快感を感じて泣いたりします。
その時も大人が感じているように「おなかがすいた」「おしりがぬれて気持ち悪い」と考えているわけではありません。
なんとなくの不快感を感じてそれに反応して泣いているだけです。

白紙で生まれてきた赤ちゃんがお母さんを中心とした家族との親密なかかわりの中で、
自分ではないお母さんや家族の存在を意識し、自己のイメージをぼんやりとつくり人や物との区別などもつくようになってきます。
情緒的にも安定してきます。
寝てばかりだった赤ちゃんが寝返りが打てるようになり、ハイハイできるようになり、
つかまり立ちができるようになり、歩けるようになりと身体的に発達していきます。
それにつれて赤ちゃんから見える外の風景も変化し、より立体的、現実味を帯びて体験できるようになります。
お母さん以外のお父さんや兄弟の存在も、家族以外の親しい人たちのことも分かるようになってきます。
いろいろな遊び、しつけなどを通して赤ちゃんもだんだんと成長して一才になり三才になり幼稚園に通いだし、小学校に通うようになり・・・
体験する世界も人とのかかわりも変化し質的にも量的にも頭と心の働きが成長していきます。

小学生のころ、思春期前の頃住んでいる世界は、家族と学校などの身の回りの世界が中心で、それがすべてでしょう。
思春期になり、子供から大人への大きな変化を迎え、家族に対する見方も、周囲の見方も変わってきます。
体験する世界が身の回りの世界から大きくひろがり、将来への夢なども考えひろがっていきます。
この頃は肉体的に大きな変化があり、心身共の大変動の中で頭や心は大きく成長もしつつ、不安定にもなりがちです。

歴史の流れの中で今という現在を生きていること。世界の中で日本という国の○○という地域に生きて生活している自分という把握がぼんやりできてくるものです。宇宙の誕生から現在を考え、宇宙の中の銀河系、太陽系、地球、その表層の中で存在する世界、その中の日本・・・と更に大きく把握できるようになっているかもしれません。
そのような思春期の数年間を経て、自分自身の像(アイデンティティ)が確立されていき、将来の夢も見えたり見えなかったりしつつ、大人になっていきます。


発達障害とは生まれてから大人になっていく発達の過程で何らかの問題があり、日常生活や他人とのかかわり、社会生活などが困難となることです。
多くは生まれてから生後数年間でその問題がだんだんと明らかになってきます。

人間が成長するのにはいろいろな道をたどるものです。その環境もそれぞれ違い経験することも違います。発達の仕方がそれぞれ異なるのも当然です。誰しも発達の仕方は凸凹しています。人の気持ちがよくわかり気遣いのできる子もそれが苦手な子もいます。音感が発達していて音楽の能力が優れた子もそうでない子もいます。運動能力の優れた子供もそうでない子もいます。慎重で一度言われるとあまり間違わない子もいれば何度言われても間違う子もいます。落ち着いる子もじっとしておれずしょっちゅう動き回っている子もいます。それが当たり前です。ただ発達障害というのは、その凸凹が極端になっていて、学校生活、社会生活を送るのにやや大きめの支障になっている時に、とりあえず言うことのような気がします。

幼いころであればお母さんと視線を合わさない。言葉がなかなか出てこないなど。
歩けるようになるとすぐにかんしゃくを起して物を壊したり自分を傷つけたりする。同じことを繰り返す。おむむ返しに話をする。
動き回ってじっとしていないなど。
小学校に行くようになると、同級生と交わらず一人でいることが多い。忘れ物をしばしばする。
授業中も動き回ったりおしゃべりをしたりしてよく注意されるなど。

同級生との関係もうまく作れずいじめなどの対象になりやすく、その為に心が傷つき不安や落ち込みが出たり、登校できなくなったりもします。
同級生からは変わり者とみられたり、先生からはこまったちゃんと思われることが多いのではないでしょうか。

発達障害の子にはこのような行動傾向が目立つことが多いと思われます。
大人の発達障害の人であれば過去にそのような経験をした人が多いと思われます。


発達障害にもその特徴からいくつかに分類されています。
代表的なものとしてはアスペルガー症候群(自閉症性障害)とADHD(注意欠陥多動性障害)でしょうか。

工事中